saitaPULSのサイトに掲載されているママ友に関するコラム。
「小学校のPTAでほんとにツラかってん」
と実は初めて、あそこできちんと吐き出すことができました。
あれでも書いては消し書いては消しで、原稿書いたあとには2日間くらい、当時の辛かったことを思い出しては泣く、みたいなフラッシュバック状態になってしまうほどに嫌な思い出だったわけなのですが。
どれくらいかというと、PTA翌年には保護者会で学校に行くのも怖く、家をどうしても出られなくて毎回遅刻してしまったくらいなもんで、人に対して活動行動するのが怖くなり、仕事にも密かに多いに支障を来たしていたのでした。
それが今からちょうど5年前。
もう一生、PTAには関わらないと心に決めていました。
ところが、あのコラムがアップされた翌日くらいに突然、当時のPTAでも数少ない良い思い出である友人から連絡が来ました。
「中学のさ、PTAやらない?
つらい思い出は、楽しい思い出で上書きしようよ」
と誘われたのです。
え、まじ? もうPTAはいやなんですけど。
そう思いながらも、そうすると、わたし、ちょろいもんで、思い出しただけでも泣くくらいだった記憶が「上書きしようよ」とそこで出来た数少ない友人に言ってもらったことで、一気に浄化されてしまい、たった30分ほど考えただけで「やるわ」と言ってしまったのです。それも会長を。
PTA役員当時の記憶から、人前で話すことさえ負担でなければ、細かい実務をやって失敗する心配がない会長職は、大味で実務が苦手なある意味で気楽な仕事だとは知っていて(前回の辛さは概ね、仕事のやり方や方針が合わなかったPTA仲間に叱られまくったというところにあったのです)。
だから「会長はしょうこさん向き」と誘ってくれたわけなのですが。
誘ってくれたメンバーたちは自分で会長をやっても良いくらいにやる気はあったらしいのですが、思春期の子どもたちから「頼むから会長とかやめてくれ」と泣いて止められたとのこと。
そんなにイヤなものなのかと息子に聞いてみたところ
「え〜、会長になるの?
でもまあ、いいよ。決めるのはオレじゃないし」
と、なんとも包容力のある発言も出たりして、さらに嬉しくなってしまいまして。
というわけで。
来年の一年は中学のPTA会長をやることになりました。
できることなら、来年もコロナの影響でイベントも少なくなり役割を担う機会は少ないといいななんて、姑息にも考えつつ、でも本当に記憶が上書きできそうな楽しい顔ぶれが揃っているPTAなので、ムリせず、楽しく務めて「PTA、楽しかったよ!」というご報告を来年度末にはしたいなと思います。
小学校PTAのときにも「年度末には『楽しかったよ』と意地でも言ってやる!」と言っていたものの、結果的には思い出すこともできないほどの記憶になってしまったわけですが、いちおう大人なので、前回の反省を生かしつつ今回はやってみます。
それにしても、辛かったことって
「ツラかった」
と言葉に出すことで姿が変わっていくものなのですね。
まず吐き出すことが大事、ということをあらためて実感しています。