友人ライターさんが担当された記事がありました。
「12歳でわが子に突き付けられる、5つの選択肢」
これ、小学5年の娘を持つ親としては、深刻な問題です。
子どもが生まれた当初は、
受験なんてしなくていい、その分で留学させよう、
とはっきりキッパリ思っていたのですが、
いざそのときが近づくと迷うものですね。
なんて言いながら、塾にも行かせていませんが。
どうやっても正解はないし、
親が決めても本人に合うかわからないし、
本人が決めても、やはりそこが居心地のよい場所かどうかはわからない。
だから考えても仕方がないのだけれど、
少なくとも、選択肢はたくさん残しておきたい。
ここまでの11年間、その選択肢を本人が持てるために
十分なことをしてこれたのか。
振り返ると常に反省だらけです。
折りしも今週は、パリに住む中学時代からの親友が一時帰国していたため
一緒に食事をしました。
もうひとりが加わり、中学の同級生3人でプチ同窓会を。
ひとりは自分で選んでパリに移住し、好きな仕事をしながら20年近く。
ひとりはイクメンのスーパービジネスマン。
途中10分だけチラ寄りしてくれた4人目の同級生は、
関西在住なのに、東京出張の帰りに顔を見せてくれて。
中学時代から30年近く経ちながら、
それぞれ1年ぶりだったり、20年ぶり(!)だったりするのに、
まるで昨日も会っていたかのように会い、
なんてことない話をしたり、子どもの話をしたり、仕事の話をしたり。
こうした友人がいることは本当にありがたいな、と思います。
彼らの日々の活躍や生活をFacebookなどで見ることができるのも、
わたしの大きな励みになっています。
そう思うと、できれば子どもたちにも
こうした友人に出会っていってほしいと思います。
「子どもに受験はいらない」
と生まれた当時には思っていたわたしですが、
自分自身を振り返ってみると、大学受験こそはセンター試験のみで放棄しましたが
中学も高校も受験は経験していたのでした。
その受験はどちらも別にツラいものでもなく、
いろいろな勉強ができて楽しかったなあ、という思い出しかありません。
その結果、進学して出会った中学の同級生はいまでもこうして会い、
反面、高校では、そんな友だちは残念ながら残らなかった。
受験のおかげで、よい友だちに会えたわけでもなければ、
受験のせいで、高校生活にはなじめなかったわけでもなかった。
そのときの自分の選んだ道で、それが合っていたか否かだけなんですね。
そのとき、両親はというと
「塾に行きたい」と言えば、行かせてくれ
「受験をしたい」と言えば、させてくれました。
親にできることは、その選択肢の幅を極力広げてやること、
と、自分の12歳当時を思い出しながら、思い知ります。
とはいえ、いまの進学塾といえば高学年にもなればお月謝は約5万。
親力をこんな意味で試されるようになるとは……。
「選択肢を広げること」は、つまり、
いろいろ教えることのほかに、「きちんとお金を用意すること」が入っていたのだとは
生まれた当時のわたしは、やっぱり単なる理想ばかりで
なにも知らなかったのだなあ、と直前のいまになって慌てたりもしております。
どこから考えても悩みばかりで、
どこから考えても答えはありませんね。
ごはんの心配ばかりで済んだ小さいころはラクだったなあ……。